さて、YouTubeですが試しに作りました。
https://m.youtube.com/@user-ti2jp8kk5s/videos
ネタが無いので、昔々に活動していたバンドの音源を音声のみでアップしました
またチャンネル登録とかしてくれなんて言いません。今後、どんな動画を上げるかもノーアイデアw
昔のサポーター動画とか上げたろかな(嘘)www
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今回はヤクザじゃなく一般人。ごく僅かな登場ながらも私には強いインパクトを与えたキャラクター
「代理戦争」で広能の恩師として登場の青木彦次郎(演:汐路章)。そもそもこのキャラ、役名ってあったのかなぁ?
そしてこの先生、多分ケンカとかバリ強いですwそして生活指導的な手が先に出るスパルタ先生だった筈。
でないと広能と先生の関係を知らない広能組の若衆・西条(演:川谷拓三)に恫喝されても、ビビるどころか楽しそうにケラケラ笑って受け流せる訳がない!
またこの場面は、教え子・倉元猛(演:渡瀬恒彦)の、広能組関係者とのトラブルで母親も帯同しての謝罪に赴いたエピソードなのだが、例え恩師とはいえド素人がヤクザ相手に仲裁に入り、いとも簡単に手打ちにするなんてただ事じゃありませんw
挙げ句は倉元猛を広能組に就職斡旋。流石の広能も呆れる始末。しかしこの先生のセリフが殺し文句となり、猛は無事に広能組に就職出来ましたw
「内輪の話じゃが、これのオヤジいうんがのう、やっぱり府中の方の極道で、ケンカで死んどるんよ。これがコマい頃からそのオヤジさんを見て育ってきとったじゃけん、お袋さんも諦めとられるんじゃ」
このエピソードはとにかく本編を観てください!
最後にこの先生を演じた汐路章さんは京都人w
福本清三さんや川谷拓三さん達と同じ東映京都所属のいわゆる「大部屋俳優」出身らしく、あの「蒲田行進曲(これも監督は深作欣二さん!)」の階段落ち役を演じた平田満さんのモデルの方であり、実際に階段落ちを実行した俳優さんとの事。
今回は以上です。
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今回はかなりマニアック!しかし私にはほってはおけない超脇役!
第4作「頂上作戦」に登場した早川組・若衆の松井隆治(演:宮城幸生)です。
誰やねんソレ?
そうでしょう、そうでしょうw
彼は情婦の三重子(演:渚まゆみ)と舎弟である杉本博(演:夏八木勲)のエピソードのためだけに登場したキャラです。しかし実は私は密かに大好きなんですw
「ケンカと聞いたらカッカして身が持たんですけん、弾除けぐらいならまだ役に立ちますけん〜」
身体の具合が悪いのにも関わらず、組のため、親分のためにと、旅から戻った漢の姿。シビれるじゃないですか!杉本が慕うのも納得です。
またヤクザ映画らしく?なのか女連れと言うのもgood!(まさかそれが後の展開の為の設定だったとは思いませんでしたが)。
しかし残念ながら、彼が活躍する事なく挙げ句は病床に伏せたまま危篤に。親分の早川にも「迷惑掛けに戻ってきたようなもんじゃの」と嫌味を言われる始末。
更には、三重子は病院を抜け出しひょんなことから敵ヤクザの元カレ(やっちん)と再会し最後はカーセックスにw。それを知った杉本が激昂してやっちんの鼻をナイフで削ぎ落とすwww
松井から離れますが、このエピソードでの三重子のセリフが切ないんです。
「ウチは早川も打本(敵ヤクザ)も関係ないんじゃけん!(大泣)」
全くその通りでしょう。本作での女性視点のリアリティ溢れる名言。女心を全く分かっていないんですよ、本作の男たちはwww
最後に夏八木勲さんが演じた杉本ですが、モデルは実在した超大物の方らしいです。
今回は以上です。3人目、書けるかな?
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しかし普通に語ってもオモロないので脇役に注目してみます。
深作欣二監督も拘った脇役達。記念すべき第1回目は野口貴史さん。
野口さんは1作目から完結篇までの全作にて、広能組組員(岩見益夫)を演じた俳優さん(完結篇のみ別役名だったが、私は勝手に岩見と読み換えてるw)。
裏切りや権謀術数全開の本シリーズにおいて、最後まで同じ親分(兄貴分)に仕えた正に「仁義ある男」
しかし岩見は誰がどう見ても下っ端のチンピラ風情で出世するイメージが全くないw
また、同じ下っ端役でも川谷拓三さんとも違う。なんというか、岩見には荒々しい暴力的な面が少ない。彼の存在は広能組のアットホームで家族的な部分を表現するのにとても効果的なのです。例えば広島死闘篇でのあの「犬の焼肉」のシーンなんてのは何度観ても良いw
あと最後に、1作目での広能の出所で、山守親分の広能への対応に怒りを露わにするシーンは、広能に寄り添い慕う姿勢に心地良さを感じる良いエピソードでした。
今回は以上です。2回目がある事を期待しますwww
]]>ロリポップはND公式ブログからのお付き合い。2005年でした。途中でJUGEMとのシステム統合がありましたが、今もロリポブログユーザーとしての認識。もう15年。
ところでコロナ対応の影響でサンガのサポートどころか外出すら出来ない中、皆さまはいかがお過ごしですか?
今も唯一拝見している某サンガサポーターさまブログでは、以前と変わる事なくしっかりとしたご意見を述べておられ、生存確認(笑)も出来て安心しました。
ちなみに私は、年明けすぐに倒れ即入院。下手すりゃ死んでましたね(笑)。そして約2ヶ月間病院で過ごしました。ダイヤモンドプリンセス号対応から国内でのコロナ騒ぎとなる状況は入院中の出来事でした。
そして退院したら子供達は休校。私もようやく職場復帰した4月には週1日勤務に(苦笑)。
おかげでこれまで積極的に絡まなかった(避けていた)某SNSでのコミュニケーションがすっかりメインになってしまいました。今のところブログを止めるつもりはありませんが、このロリポブログの更新はもうしないかも?(ちなみにアメブロもアカウントがありますが、これも殆ど機能していない)
また今回の発症・入院であれだけ大好きだったタバコは止めざるを得なくなりました。そして以前のようにスタンドに立って闘うのも正直厳しいかも知れません。
しかし、私もいつか新スタジアムには訪れたいと思っています。その時はお相手くださいね。
最後に、私は生涯サンガサポーター「KYOTO til' I die」です!
住まいはすっかり翔んで埼玉ですが(笑)
それとベイブレードは息子の最終年度であり最後まで突っ走りたいのですが大会が軒並み中止(笑)。娘と2人で今年にようやく買い与えた某大スポンサーさま製のデジタル玩具にて、太鼓ゲームとマ◯オカートに熱中しております。
]]>息子は来年度で6年生。ベイブレード最終年度。最後まで突っ走ります。娘は3年生。私の事を名前で呼び捨て(笑)。息子は一応、私のいる前ではパパ、妻はヨーゼフ、娘は呼び捨て。なんだかよくわかりません。
よって今シーズンもスタンドに立つ事はありません。日立台ですらベイブレード優先でした。
年末にNDクルーだった方から電話をいただきました。3名程で忘年会をやっていたそうです。恐らく私をネタに話していて酔っ払った勢いで「電話しちゃろか」のノリだったのでしょうが、私は正直にビビりました(笑)。何を話したら良いのかもうサンガに関する話なんて出来る知識もありませんから。
同時に新スタジアムのこけら落としに誘ってくれたのは嬉しかったです。気が利かない男なので、即答で辞退しましたが(笑)
新スタジアム、楽しみですね。もちろん立ちたいですが、今は考えません。現役サポーターの皆さまが楽しんで盛り上げていただければ。
またスタンドに立つ気持ちが高まれば、その時は暖かく迎え入れてやってください。
たまにはブログやツイッターも書きますので、引き続きよろしくお願いいたします。
こんなポスターが貼ってありました。どうも2019年シーズン最初のモノ。
堀米くんって千葉にいたのね(笑)。画像は見難いかも知れませんが、プロフィールでの悔しかった試合に2016年POのセレッソ戦を挙げてます。
隣には私は決して嫌いじゃないフットボーラーが(笑)。引退らしいですね。お疲れさまでした。
]]>天皇杯を獲った2003年にゲルトがクビになったあと就任しましたが、残留争いから脱する事も出来ず、他所への移籍話が報道されたりもあり、シーズン終了直前には事実上クビに。
元々大宮の監督でしたし、彼について語れる程の思い出もない(思い出す事も出来ない)のですが、それでもウチに来た方ですから、訃報知りついリポートにしました。
ご冥福をお祈りします。
]]>昔のサポーター仲間からこの画像が送られ来た。
ネタかイタズラかと思い、公式を見たらマジだった。
とにかく、今日、日立台に立たれたサポーター、またこの1年闘われたサポーターはお疲れさまでした。日立台参戦のサポーターはくれぐれもお気をつけてお帰りください。
]]>素直に嬉しい。サポーターはもちろん、関係者の皆さまのおかげ。
また、この首位決戦にてスタンドに立たれたサポーターは大当たりだった筈。お疲れさまでした!引き続き頑張ってください。
私は土曜日夜に、実は宮城県の岩沼という村田JCTに比較的近いエリアに居ました。その気になれば参戦出来る距離でしたが、残念ながらその判断にはなりませんでした。
]]>最近は月イチで視察にくる福島。JR福島駅前にボード発見。他にものぼりや、少し離れた場所にコミュニティスポットがあり、そこでは試合動画を常時放映。
福島市も東邦銀行も応援しています!が、ウチといつ対戦出来るだろうね?
]]>先にも書いたが、ラストライブは2000年の京都・磔磔。四条富小路を下がったところにあり、バンドをやってたら知らない人はいないライブハウス。ウィルコ・ジョンソンの常ハコで、デイヴィッド・ボウイも大好きだったらしい老舗のハコ。ガキの頃から銀閣寺道にあったCBGBと共に一度は立ちたかった場所。
時期は忘れた。ウチが残留争いの真っ只中だったかな?この頃は既に完全無欠なサンガサポだった。恵比寿みるくで共演したローリー寺西さんのCS番組に強引に出演させてもらった獣人が、私を「フットボールと車が好きなおかしな奴」と紹介してね。アシスタントのオナペッツさんに「普通(の兄ちゃん)じゃん!」言われたりね(笑)。
しかし、この日のライブ後だったと思うがGODさんをキレさせてしまった。悪いのは獣人と私だと思う。せっかくの磔磔なのに。そう言えばCBGBに初めて出た時も前のバンドでラストライブだった(笑)。
もうバンドはいい。サンガしかないとも思っていて、それからサポーター活動にのめり込んでいったのは、もう一部の古いサポーターしか知らない事。
それからも何度か他のバンドでの活動機会があったが全て短期で終わり。後から気がついた事だが、私はグループでの活動には向かない。ストレート過ぎてかつ押し引きが苦手。これじゃ他のメンバーも嫌になる。だから今、ガチで取り組んでいるベイブレードも家族で活動しているのは正しい判断。
でも改めてCDを聞いて、下手だけど私なりにかなり工夫して演奏していたなと今になって私自身を見直した(笑)。上手く演れたのは3曲目の「撃つ手口」かな?曲も獣人ナンバーにしてはカッコ良い系。後、メンバーからは4曲目「ZERO」のフレージングを絶賛されたり。
皆さんに聞いて貰うつもりもない。買ってくれとも言わないし、そもそももう流通すらしていない筈。
獣人とは私が松戸在住時に千葉駅前で飲んだ事がある。彼も千葉の某所に移住していた。その頃に某所の夏祭りステージに立ったり、長野・松本や渋谷のイベントに旧知のバンドに声を掛けていただいたり。たまのライブは楽しいが、マトモな演奏が出来ないのにステージに立っちゃダメですね。やっぱりバンドは定期的なリハーサルをして、やっぱり人に見せたい、表現したい気持ちが無いと。
長い独り言はこれで終わり。また気が向いたら音楽関係の事は書きたいと思います。
最後に獣人、GOD FEELINGさん、拷問装置さん、1回だけ一緒にステージに立ったドラムのカズヤさん。今更ながら本当にありがとう。
]]>しかしバックのリップシンクってのは、弦楽器は良いとしても、ドラムなど鳴り物ってどう無音にするのかとか余計な心配をしていたが、ドラムの拷問装置さん(名前が凄いでしょ?)とセットを見て納得した。完全無音にはならないが、想像以上にミュートされるように加工されていて、特にシンバル系はゴムが注入されていて殆ど音が出なくてビックリ!(笑)。
ちなみに企画としては、収録動画が番組本編最後に投票告知で数秒だけ流れて(笑)、後にインターネットでフル視聴して投票数を争うモノだった。我々の得票数は確か4票!(笑)。それでも凄いと感じたが、さすがにこういう企画に参加するのはもう嫌だと心底思った。
後はフルアルバムのリリースがあった。1999年頃かな?全13曲あるが、最後の曲は私が弾いていない(多分獣人のリクエストでGODさんと2人で急遽追加した予告の曲)。アートワークは獣人の作品がベース。?で貼り付けた画像がジャケットだが、これは獣人の手によるモノ。中々アーティスティックな良い感じ。しかし改めてこのバンドは獣人のワンマンバンドと再認識し、自分のメンバー画像はかなり適当なモノを提供した(サポーターとして既に活動していたので、97-98年のサンガシャツを着用したり、ベースは使った事すらないリッケンバッカーを持ってステージ画像っぽく、べアーズの営業終了後に撮影したりね)。
作品については、私は音入れのみでミックスダウンには一切立ち会っていない。この頃はもう活動に対して消極的になっていて良く獣人ともケンカした(既にサンガサポーターとして活動していた)。だからって訳でもないが、当時はこの作品リリースそのものにも不満があり出来にも満足出来なかった。
ただ制作から費用面までほぼ全て1人でやっていただいたGODさんには本当に申し訳ないと思っている。
?に続く。次で最後にしようかな?
]]>印象的なステージとしては、やはりメジャークラスとの対バンやイベントだった。渋谷クアトロではDMBQさんと中原昌也さん(暴力温泉芸者)ユニット、京都ミューズホールではギターウルフさん、あと恵比寿みるくでのイベント(サワサキヨシヒロさん主催イベント)で、ローリー寺西さんユニットとロマンポルシェさんと共演。
ジャンル的にかなり違いのある方々との共演は、やっぱり獣人の特異性とGOD FEELINGさんの雰囲気あるギタープレイと何より交流関係の広さによるもの。結局、バリバリのメタルやハードロック系との共演は私の在籍時には一切なかったなあ(笑)。
あとCXフジテレビの音楽番組だった「HEY×3」内の企画「HEY-1グランプリ」にもエントリーした。当時の獣人はどうもメジャー志向で自らCXに応募したらしく、そして何と選考が通った(笑)。TV収録なんぞ滅多に経験出来ない事に妙な高揚感もあったが、アンダーグラウンドシーンが主戦場だと思っていた私には不満と戸惑いしか無かった。
(お台場で収録本番中)
収録は忘れもしない1997年9月28日。この時点ではまだサンガじゃなかった。しかしフットボールは好き。この日はフランスW杯予選が国立で開催されていた。それも日韓戦。大一番の闘い。収録に乗り気でない私はお台場のCX控え室で、収録そっちのけで番組スタッフとテレビ観戦していた(笑)。
?に続く
]]>https://www.sanga-saporen.net/news/985
少し開いて見たが非常に懐かしかった。色んな事が思い出される。そして楽しかった。サポーターとしてとても充実していた頃でND結成前。
話は逸れるが、ND活動終了から暫くしたある日、ある人から「(私が)チームなんか立ち上げるから(バラバラになった)」と言われた。
その人の言う通りかも知れませんが、今もNDを結成した事を全く後悔していません。ただ間違いがあったなら、私が代表だった事です。でもその時はそうするべきと信じてやってましたがね。今だから言える事。
歌詞カードは気がつけば、Kさんに引き継いだ後、Tさん管理になったのかな?ハッキリと覚えていません。
でも会社のコピーをコソッと使って大量プリントしたのは良い思い出。あとT林さんというサポーターさんにはいつも自腹で大量コピーをカンパいただいたのは最高に嬉しかったですね。