(たまにはヨーゼフブログらしい事を書いてみます)
何やら新潟の呂比須監督がサポーターを感激させるコメントをしたようです。スタジアム入りする際、選手はイヤホン・ヘッドホンを取って入り待ちのサポーターの声や応援歌に耳を傾けようではないかと。
新潟には良く視察に行ってるくせに、そもそも文丈さんから呂比須監督に変わっていることを知らなんだです(笑)。
ヘッドホンの話に戻すと、チームを鼓舞したいサポーターが入り待ちしているのを、選手スタッフにその気持ちを感じて欲しいと思うのは当然です。それに応えようとする呂比須監督の考えも素晴らしいのは認めます。
でも私は、ひねくれてると言われようが何であろうが、入り待ちそのものを否定はしませんが、前向き評価もしていません。特に毎試合のルーティンになっている場合ですね。
私の場合、毎試合同じような入り待ちをされている状況を選手がどう感じているかをどうしても考えてしまいます。要するに気持ちが高まる以上にだんだん新鮮味が無くなるのではないかなと。初めは良いんです。そしてお互いが気持ちが高まり良いゲームなれば言うことなし。
もし選手がサポーターへの感謝以上に、毎回対応する事への煩わしさを感じてしまっていたら、もしサポーターがチームへの熱い気持ち以上に、入り待ちが義務のようになってしまっていたらどう思いますか?
スタンドに立つまで、選手入場時まではお互い抜けるところがあった方が良いと思いますけどね。毎回は厳しいです。入り待ちしたければそれはサポーターの自由。しかし選手もヘッドホンして音楽聴く事が、リラックスや精神統一になるならそれで良いと思いますよ。それでゲームにて最高のパフォーマンスを示してくれた方が私も嬉しい。
私の理想の入り待ちは、スタンドでのイベント同様に(例えばコレオグラフィとか)、ココぞと言うゲームで、コアサポーターだけでなく、全サポーターに参加を事前に促し、西京極の正門からの沿道にサポーターで埋め尽くした状態でやること。強烈なインパクトが欲しいのです。そこで布部監督が「(バスの)窓を開けてサポーターに応えろ!)と言えば完璧。そうなれば選手もバスを降りる際にはヘッドホンも取るでしょ?(かな?)。
入り待ちを含め、毎試合、気持ちを持って応援しているサポーターには失礼な事を言ってるかも知れません。でも今一度、選手スタッフ側になって考えてみて貰えたら、もっと選手を鼓舞出来るアイデアが生まれ、もっとスタジアムに足を運ぶ事が楽しくなると思うのですが、如何でしょうか?
最後に、私は出待ちは積極賛成派です(ND時代は私は敢えて殆ど行かなかったですけどね。でも実は行きたかったんですよ)。負けた場合の対応は難しいですが、勝った時は本当に楽しめると思います。今でも2001年のアウェイ水戸戦後のサポーターラインダンス(?)と、特に2004年シーズン最終戦、アウェイ大宮での出待ち&残留懇願での平井ちゃんは忘れられません。
俺ら:平井!来シーズンも俺らと一緒に闘うやんな?そうやんな?
平井ちゃん:(無言でサムアップ)
他の選手が「クラブが決める事」としか答えない中で、自身も契約更改出来るかどうかもわからない中で「俺はずっとお前らと一緒に闘うから、来シーズンも俺の歌をしっかり歌ってな!頼むで!」と彼の心の言葉をしっかり受け取りました(妄想)。